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隣と姉妹の溜まり場な俺の部屋。内藤殲滅戦開始
747 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:13:53.89 ID:ke.byLk0
見かけないと思ったらパー速でずっとやってたのなww
まとめ読んだら最近見かけないとか書いてくれてて嬉しかった触手ですこんばんは。
でまぁ、司の幼少期の話を読んで、色々溢れそうになったので保守がてらに吐き出します。
いらなかったらスク水投げてください。



ウンコウンコーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


748 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:15:36.99 ID:ke.byLk0
って待て、なんか既に身の上話してる奴いるじゃねーかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
うはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww俺超空気読めてねぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
死ぬwwwwwwwwwwwwwwww死ぬwwwwwwwwwwwwwwwwwwむしろ殺せwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


752 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:22:04.18 ID:ke.byLk0
>>749
うっせwwwwwwwwww秋のこの時間が一番おセンチ入るんだよwwwwwwwwwwwwww

>>750
何 度 で も よ み が え る さ ! !

>>751
自重って何?wwwwwwwwwwwwwwwwwwおいしい?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
とりあえず、内藤は危ないな。



さてまぁ、どっから話せばいいかね。
それこそ曲がりなりにも19年生きてきた人生の中で、繋がりのない事象なんて一つも無い訳だ。
それを最初から一つ一つ羅列してたら、スレがいくつあっても足りねぇしな。
とりあえず、一つの転機までは簡単に書いていくか。

そんな訳で、しばしお付き合いくださいな。


754 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:35:41.90 ID:ke.byLk0
生まれは特に面白くも無い、大阪のとある住宅だ。
まだ家にも「ご近所付合い」って言葉があった時代でな。
お隣とかそういうレベルじゃなくて、住宅全体で年の近い子供のいる家族は仲良くやってた。
「大きくなったら結婚するー」とか言い合う事ができるような子もいたよ。
毎日日が暮れるまで砂場で遊んだり、誰かん家に行ってはしゃいだり、そりゃもう楽しく過ごしてたな。
ずっと一緒にいられるとかいられないとか、そんな事すら考えないくらいに。

まぁ、得てして世の中ってのは残酷に出来てるもんだ。

そもそもその住宅ってのが、警察官の家族に貸し出してるもんだったらしい。
今でもよくわからないが、子供が生まれて何年か経ったら引っ越さなけりゃならなかったみたいだ。
今だからこそ仕方が無いって思えるが、当時は驚いたもんだ。
ある日、突然仲の良かった友達がいなくなるんだからな。


755 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:42:37.61 ID:ke.byLk0
ま、それからは早かった。
もともと友人なんて歳の近い奴らばっかな訳で、特に一人っ子のところは次々と引越しだ。
下に弟妹が出来た家も、いつか出て行くなら早めに、ってことかどうかは知らんが、期限を待たずに引っ越すことも多かった。

かくいう俺も、一度近くのマンションに引っ越した。
俺が小学校に上がるタイミングだったな。
いいタイミングだったと思うよ。学校に行けば交友関係も広がる。幼稚園なんかとは比べ物にならないくらいに。
新しい環境に慣れるのに精一杯で、いなくなった奴らのことなんて考えてられなかった。
そうしている内に、まだ住める年数が残ってたのか何なのかよくわからんが、再びあの住宅に舞い戻った。
もう俺は学校の友人と遊んでばっかりで、昔の仲の良かった奴とはすっかり疎遠になってた。

疎遠になってたというか、もう誰もいなかったんだけどな。


756 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 04:50:03.18 ID:ke.byLk0
そんなこんなで俺の小学校生活が1年近く続いたある日だ。
親父が、国道を挟んだ新しいマンションに引っ越すと言い出した。
通っている学校から、徒歩5分もかからないような距離にあるとこだった。
下見に行った部屋からは、自分の学校がよく見えた。
それなりにわくわくしてたんだろうな。

だからまぁ、「転校になるぞ」って言われても、直ぐに実感は沸かなかった。

変な話だった。目の前に今の学校があるのに、わざわざ遠いところまで通わなきゃなんねー訳だからな。
まぁ、小学生の低学年にとっては、校区なんてのは一人で出かけてもいい場所、程度の認識な訳で。
2年の夏に、晴れて俺の友人関係は再び白紙に戻った。


759 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:01:46.02 ID:ke.byLk0
兄貴と呼び出したのは司だから俺には責任ねーよwwwwwwwwwwwwwwwwwwサーセンwwwwwwwwwwwwwwww

>>758
ギリギリアウトで、親父様達は変えることを選んだらしいなぁ。
今更穿り返して問いただそうとも思わんがww


760 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:03:51.61 ID:ke.byLk0
そこからしばらくは、特に語ることもねーな。
新しい家、あたらしい学校、新しい友人。
幼稚園の頃の友達と再会したり、同じクラスの幼馴染ペアと仲良くなったり、その女の方にこっそり惚れてみたりな。
すぐ泣くくせに強がる、典型的なのび太タイプの子供だったよ。
そのまま成長すりゃあ、こんな自分じゃなかっただろうとかでもそんなの俺じゃねぇよwwwwwwwwwwwwとか思ったりしないこともない。
ここ数年で、「もし」とか「たら」とか「れば」なんて馬鹿らしく考えられるようになってきたんだが、まぁ今は関係ない話だ。

一つ話すことがあるとすれば、この頃から感じるようになった違和感のことか。
仲のいい奴らが休憩時間に思い出話してる時に、ふと感じる違和感。
それが何なのか分かったのは、それからまた後なんだけどな。

こいつらの共通の思い出の中に、俺はいないんだな、と。


764 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:08:23.40 ID:ke.byLk0
>>761
こちらこそヨロシクオナガイシマス

>>762
ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww俺とことん空気読めてねぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
もうここまで吐いちゃったから最後まで吐いちゃうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwだって男の子だもんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


767 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:18:07.14 ID:ke.byLk0
そんなどうしようもない寂しさを時たま感じつつも、それが時たまに感じられるくらいには学校生活を謳歌していた訳だ。
この頃始めたのがボーイスカウトでな。どちらかというとインドア派だった俺が、親に誘導尋問されるがままに入隊した訳だ。
ここでもまた、交友関係は広がった。同年代だけじゃなくて、面倒を見てくれる先輩とか指導者の大人達とか。
この頃一つ気がかりだったのが、前述した幼稚園時代の友人。俺のことを下の名前で呼んでくれた最後の一人だ。
夏休みが明けて二学期が始まると、何故かそいつの姿がどこにもなかった。
「家庭の事情で」引っ越したと担任から聞かされて、女子どもの離婚だの夜逃げだのの根も葉もない噂に不安になったもんだ。
親に聞いても知らないし、何より何も言わずにいなくなったのがショックだったのは覚えてる。
けどまぁ、一度経験した身としては転校は別の世界の話じゃなかったし、むしろ離婚とかそういうのが自分にはよくわからない世界だった。
そういうことが身近に起こり得るってことが、その時になっても微塵も感じられなかった。
変わらないと信じたものが、一度なくなっていることになんて、小学4年生にゃ気付けなかったんだな。

そんなこんなで小学5年になって、ボーイスカウトもカブ隊からボーイ隊に進級してしばらく経ったある日だ。


768 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:26:14.19 ID:ke.byLk0
その日はボーイのキャンプだった。
夏の長期キャンプに備えた予備キャンプ。
その2日目に、俺は隊長に呼び出された。
お父さんが来てるぞ、と。

ボーイスカウトは母に勧められて入ったこともあって、親父が関わる事は滅多に無かった。
一度夜通しで何十キロも歩く隊集会があって、その時に一度手伝いに来た事があっただけだった。

何があったんだろう、と不思議に思いながらも、俺は班の仲間や先輩、指導者の大人達に見送られながら下山した。
誰も、何も言わなかった。
麓に着くと、親父と見慣れた我が家の愛車があった。
どうしたん、と聞いても、親父は何も言わずに、ただ「いいから乗れ」って言うだけだった。


770 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:33:04.13 ID:ke.byLk0
>>769
俺も離れて久しいから、あんまり覚えてないが、
ビーバー→カブ→ボーイ→ベンチャー(シニア?)とか、そんな感じだったと思う。
学年はあまり詳しく覚えてない。


772 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:41:46.34 ID:ke.byLk0
簡潔に言うと、車の中で聞かされたのは親父と母さんが離婚するということ。
「俺は止めようとした」「どうしようもなかった」
親父はそんなことを言ってた気がするけれど、正直どうでもよかった。
それからは早かった。
家に着いたら既にダンボールが積まれていて、その数日後に俺と弟は母さんに連れられて家を出た。
出る前に、双方のじーちゃんばーちゃんとも電話で話したが、その時言われた言葉は今でも忘れらんねーな。
それがまぁ、今の俺に繋がってる訳だから、複雑なんだが。それについては後述する。
引っ越したことで、学校へは通いやすくなったけど、そんなことを考える余裕なんてなかった。
母さんが精神的に参っていて、けれど司みたいにしっかりしてねぇ俺は自分がこれからどうなるかが心配で、どうしようもなくなってた。

ある日母さんが、泣きながら話したのを覚えてる。
俺たちは親父方の伯父に引き取られて暮らすことになった、と。
必死で反対した。結局、当人達が反対したことで裁判は母親に傾き、俺たちの親権は母さんが握った。
親父と会うのも月に何回、と取り決められ、歪に固定された、けれどひとまずは安穏な生活が始まった。


773 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 05:52:15.59 ID:ke.byLk0
誰も離婚の理由は教えてくれなかった。
表立って喧嘩してるような様子もなかったし、何よりそんなことが自分の身に起こるなんて考えてもいなかったからな。
親族からは、大人になればわかる、と言い聞かされ続けた。

ある日、学校で体調を崩して、親が迎えに来てくれることになった。
母さんが来るものだと思っていたが、来たのは親父だった。
担任が、引っ越す前の電話番号にかけたらしい。
親父はここぞとばかりに、俺が健康な生活を送れていないと裁判で主張したそうだ。
母さんはそれに対してヒステリックになり、親父はこっちの生活の粗探しをしているように見えた。
別の日、親父との面会中に親父がこう言った。「母さんは不倫している」と。
唐突過ぎて信じることはなかったが、親父がそんなことを言い出したのがショックだった。
ただただ、俺の家族は壊れていった。そんな中でも学校生活は続いて、俺は相変わらず仲のいい奴らと一緒に大人になれるんだと信じていた。
信じたかった。


774 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 06:01:05.59 ID:ke.byLk0
卒業を控えたある日、母さんが引っ越すと言い出した。
母方の祖母や伯母がいる南の方に、引っ越すのだそうだ。
理由は、親父から離れたいのと、そっちの方で仕事が見つかったから、とのこと。

俺は初めて感情を爆発させた。

この4年間、この場所で築いてきたものを、また白紙にするのか。
祖父母はお前が一番年上なんだから頑張れというが、これもその頑張るうちに入るのか。
俺たちは、どこまであんたらに振り回されればいいのか。
そんなことを叫んだと思う。
叫ぶだけ叫んで、最後には納得して頷いた。元より、決まった話を覆すことなんて、小学生のガキにはできなかった。
その時になって、ようやく消えた幼稚園からの友人の気持ちがわかった。
俺は担任に引っ越すことを黙っていてもらうように頼んで、卒業後も何事も無かったかのように春休みを謳歌した。

いつも通りに友人と遊んで、また明日な、と言って別れて、そいつとはそれっきりだ。
その夜は、泣き続けた。


775 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 06:11:48.43 ID:ke.byLk0
そう、こっちに引っ越すにあたって、ボーイスカウトも辞めた。ボーイ2年目だった俺は、カブ隊の組の面倒を見る係もこなしていた。
別れ際に、その組の補助者が残念だ、と言ってくれたのに対して、「直ぐに代わりが来ますよ」と言った。
補助者の人は、何故か泣いていた。

また、自分のいない土地での生活が始まった。
中学校では直ぐに周囲に溶け込めた。やっぱり記憶に自分がいない寂しさを感じることはあったけれど、仕方がないと割り切った。
表向きは安定した生活を送っていたけど、心の中はどうしようもないくらいに壊れていたように思う。
最も俺を苛んだのが、離婚を聞かされた時の祖父母の言葉だ。

「お前のお父さんとお母さんは、失敗だったんだ」

失敗。その言葉が、耳にこびり付いて離れなかった。
彼らの結婚が失敗だったというのなら。
その結果である俺も、失敗なのだろうか。
今思えばとんだ発想だけど、その時の俺にはどうしようもなく重い言葉だった。
自分について悩み始める中学生には、重すぎる気がした。


776 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 06:18:40.20 ID:ke.byLk0
そうして、歪んだままで時間が進んでいく。
何度か衝突を繰り返して、母さんには母さんなりの苦しみ、決断があったことも理解した。
親父は既に父親ではなくなっていたけれど、それでも親父として付き合い続けた。何度か聞かされた戯言は、気にならなくなっていた。

気がつけばサボリ癖がついていた。
学校に行った振りをして家に戻り、眠る日が続いた。
それでもなんとか受験に合格して、私立の進学校へ入った。
演劇部に入って、仲間が出来て、居場所を見つけた。
一人前に人を好きになって、振られたりもした。
高校の1年間は、自分の中で唯一誇れるものとして、今でも大事に仕舞ってある。
けれど歪んだものが元に戻る訳もなく、翌年、俺は学校にすら行かなくなった。


777 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 06:24:23.12 ID:ke.byLk0
常に不安定、わからないことだらけ。
思考は常に内側へ向かい、存在を見失う。
気が付けば薬と病院に頼っていた。
自分は異常なのかと不安になり、しかしそれは本当に矯正されるべきものなのかと疑問を抱いた。
周りに迷惑をかけた。
親族に冷めた目で見られた。
母さんと弟は確かに家族だったが、何を伝えることもできなかった。

歪は歪なままに時間が過ぎて、けれどまぁ、当たり前な話なのだけれど。
その間に、何も変化が無いわけじゃなかった。


779 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 06:42:01.60 ID:ke.byLk0
閉じてはいたものの、続いていた友人関係と、ネットでの交友関係の中で、少しずつ今の俺に近付いていった。
無いものは無いと諦め、失くなったものは失くなったものと受け入れ、捨てたものは捨てたものと認める。
劇的な出会いや事件があるわけでもなく、あがいている内に少しだけ前に進めた。
学校を変えた。もう少し前に進みたくて。
バイトを始めた。進んでいることを確かめたくて。
あの頃のあいつらの中に、もう俺はいないかもしれないけれど、俺の中にあいつらがいることに気付いた。
故郷なんて呼べるものはないと嘆いたこともあったけれど、変わらないものなんてないのだから仕方ないと思えるようになった。
失敗だろうが何だろうが、今いる自分を自分で否定したくないと思った。
「もし」とか「たら」とか「れば」とか、そんな事を考えない訳じゃないけれど、今に目を向けようと思った。
何より、同じような境遇を経てもしっかりやってる司を見て、負けてらんねーと思った。

俺の母さんはずっと独りだったけど、最近職場でいい友人ができたみたいだ。時々喧嘩してるようだけど、それも普通のこと。
弟は弟で、俺とは違うところで悩んで生きてる。それを認めてやらんと駄目だと思った。
親父は最近再婚した。あの人はあの人で、前に進もうとしている。その中で、俺たちが必要じゃなくなった時は何も言わずに見送ろうと思う。

親族に対する疑念とか、未だにわからない離婚の理由とか、見つけらんねー進みたい道とか、いろいろあるけれど。
司に負けんように、俺も生きることの出来る今を、精一杯生きようと思う次第です。

これで、俺の話は終わり。
どうしようもない自分語りに付き合ってくれた人に、最大の感謝を。









マジレスきめぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwウンコウンコーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


783 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 07:09:15.59 ID:ke.byLk0
>>780−782
こんな時間までつき合わせてすまんww
けどまぁ、改めて司の境遇に嫉妬したりもせんでもないんだがなwwwwwwwwww

とりあえず司は、隣を全力で守れwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
内藤だか何だか知らんが隣に手を出す奴はここの住人全ての敵だwwwwwwwwwwwwwwww


789 名前:パー速トップ絵募集中 [] 投稿日:2007/10/15(月) 07:51:45.63 ID:ke.byLk0
>>787
おはよう。
ひさしぶり。
まってた。
がんばれ。

ウンコウンコーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

これで全部だよな?



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